コラム No.013 時代を生きる旭川大学の精神について ― 二つの“あいさつ文”によせて ―
旭川を除く各地での父母懇談会と同窓会が終った。
残念ながら今年のそれはどこも失礼してしまった。
理由は、目下開設認可申請中の新学部づくりに、不眠はともかく不休の毎日が続いていたからである。言い訳になるが、このコラムも更新されずお叱りを受けていた。逆にあらためて、多くの方々が読んで下さっていることに身をひきしめた。
今回のコラムは、私が最近かいた二つのあいさつ文を載せたい。
一つは、旭川大学後援会会報にのせたもので、もう一つは、私が実行委員長を務めることになった「ナイジ」と呼ばれる「内モンゴル芸術コンサート」(12月7日)のプロブラムへのあいさつである。
前者は、これから明らかになる新学部への私の想いを新校舎建設に臨み綴ったものであり、後者ははるか草原の民へ寄せる想いである。ともに個性豊かにして普遍的人間の絆への信頼を考えたもので、これが地域に根ざす旭川大学の精神でもある。
(旭川大学後援会会報 第93号より抜粋)
人で紡ぐ旭川大学の物語
-飯森新会長を迎えて- 先日、新しく創る「保健福祉学部」の新棟起工式があった。
その折、永山神社の宮司の祝詞に「北の高千穂大雪山」という件あり、私の頭には様々な想像力が立ち上った。その一つが本学をめぐる人の物語であった。

永山神社と永山武四郎、その孫に当たる昨年お亡くなりになった永山武臣松竹会長のこと、武臣氏は旭川大学大学院の教授をお勤めいただいた。
そして、施工を引受けていただいた盛永組の社長で現理事の孝之氏と先代の要氏のこと。盛永要氏は、旭川商工会議所の会頭であり、本学の理事長でもあった。そして、今回後援会々長に飯森孝氏をお迎えすることとなった。
氏は昨年、永年にわたるガス事業の功績により叙勲の栄誉に輝いた方で旭川ガスの相談役である。しかし私にとっては、それ以上に新会長は本学との強い絆を感じさせる方である。奥様が長く本学園の女子部の教員であられたこと、三橋元理事長の部下であったこと、そして山川前理事長との長年のご関係etc.である。
ある地域が若者の向学心を育む気風があるかどうかは、地域の文化資本、教育インフラの基礎を形造る。
それは地域の文化度を計るバロメーターであろう。
旭川は旭川大学に限れば人を紡ぐ物語において、幸福な大学といわなければならない。
(内モンゴル芸術コンサート・プログラムより抜粋) 草原にホーミーガ流れる
あれは何時のことであったか。テレビ画面の馬上にほとんど小学生と思われる
少年がいた。
ほこりだらけの顔にしたたる汗を光らせて、彼は手綱を自在に操るも、年に一度
のレースの最後尾を往くのであった。汗はもう涙とも思われた。
そのクローズアップにフェードインで、あの独特の「追い分け節」のようなホーミーが流れてきた。それはグローバリズムの下に在って、民族の誇りを乗せた持続の意志を、静かにしかし力強く訴えている風のささやき(レ・シルフィード)のように思われた。
今宵ナイジのパフォーマンスに酔わん。
2007.10.10記 旭川大学・旭川大学女子短期大学部 学長 山内亮史
残念ながら今年のそれはどこも失礼してしまった。
理由は、目下開設認可申請中の新学部づくりに、不眠はともかく不休の毎日が続いていたからである。言い訳になるが、このコラムも更新されずお叱りを受けていた。逆にあらためて、多くの方々が読んで下さっていることに身をひきしめた。
今回のコラムは、私が最近かいた二つのあいさつ文を載せたい。
一つは、旭川大学後援会会報にのせたもので、もう一つは、私が実行委員長を務めることになった「ナイジ」と呼ばれる「内モンゴル芸術コンサート」(12月7日)のプロブラムへのあいさつである。
前者は、これから明らかになる新学部への私の想いを新校舎建設に臨み綴ったものであり、後者ははるか草原の民へ寄せる想いである。ともに個性豊かにして普遍的人間の絆への信頼を考えたもので、これが地域に根ざす旭川大学の精神でもある。
(旭川大学後援会会報 第93号より抜粋)
人で紡ぐ旭川大学の物語
-飯森新会長を迎えて- 先日、新しく創る「保健福祉学部」の新棟起工式があった。
その折、永山神社の宮司の祝詞に「北の高千穂大雪山」という件あり、私の頭には様々な想像力が立ち上った。その一つが本学をめぐる人の物語であった。

永山神社と永山武四郎、その孫に当たる昨年お亡くなりになった永山武臣松竹会長のこと、武臣氏は旭川大学大学院の教授をお勤めいただいた。
そして、施工を引受けていただいた盛永組の社長で現理事の孝之氏と先代の要氏のこと。盛永要氏は、旭川商工会議所の会頭であり、本学の理事長でもあった。そして、今回後援会々長に飯森孝氏をお迎えすることとなった。
氏は昨年、永年にわたるガス事業の功績により叙勲の栄誉に輝いた方で旭川ガスの相談役である。しかし私にとっては、それ以上に新会長は本学との強い絆を感じさせる方である。奥様が長く本学園の女子部の教員であられたこと、三橋元理事長の部下であったこと、そして山川前理事長との長年のご関係etc.である。
ある地域が若者の向学心を育む気風があるかどうかは、地域の文化資本、教育インフラの基礎を形造る。
それは地域の文化度を計るバロメーターであろう。
旭川は旭川大学に限れば人を紡ぐ物語において、幸福な大学といわなければならない。
(内モンゴル芸術コンサート・プログラムより抜粋)
草原にホーミーガ流れる
- 内モンゴル「ナイジ」コンサートによせて-
あれは何時のことであったか。テレビ画面の馬上にほとんど小学生と思われる 少年がいた。
ほこりだらけの顔にしたたる汗を光らせて、彼は手綱を自在に操るも、年に一度
のレースの最後尾を往くのであった。汗はもう涙とも思われた。
そのクローズアップにフェードインで、あの独特の「追い分け節」のようなホーミーが流れてきた。それはグローバリズムの下に在って、民族の誇りを乗せた持続の意志を、静かにしかし力強く訴えている風のささやき(レ・シルフィード)のように思われた。
今宵ナイジのパフォーマンスに酔わん。
2007.10.10記 旭川大学・旭川大学女子短期大学部 学長 山内亮史
2008年01月08日 連載コラム [clm]

