コラム No.011 立上る想像力-五木寛之作品の「文庫解説」を書いて-
ホームページを読んでくれている卒業生からお叱りの年賀状がきた。
この学長コラムの回転が鈍すぎるというのである。申し訳ない。
今後はもっと回転させましょう。
昨年11月、突然文芸春秋社の文庫本の部長という人から電話がきた。
作家の五木寛之氏が作家デビュー40周年、直木賞受賞作『蒼ざめた馬を見よ』の新装版の解説を私に頼みたいとのことであった。
なんでも私が14年ほど前に、同人誌をはじめた後輩に頼まれて書いた、「フランヴィタールの暮方-戦後文学としての五木寛之」という小論を、五木氏本人が感心してくれたからであった。昨年10月に札幌に講演に来られた五木氏がこれを読む
機会があり、私に解説を、と御指名下さったらしい。
間もなく五木さんの事務所から45冊の最新刊の著作本が送られてきて、感激するやら驚くやらで数日興奮の中にいた。五木さんは私にとって青春のくぐり方を教えてくれた、とびっきりの大先輩とでもいうお方なのである。
五木寛之と中島みゆき、このお二人がいなければ、私の人生は随分味気のないものになったことだろう。
嬉しさのあまり一気に書いたその解説を、出だしだけ紹介したい。後はどうぞお買い求め下さい。
「蒼ざめた馬を見よ<新装版>」五木寛之 著 (p.308~310より抜粋)
解説 山内 亮史
もう40年前になるのか。
私は1967年、青春の降り口で「蒼ざめた馬を見よ」という小説とその作者である五木寛之という表現者に‘噛まれた'のであった。
そう、この小説の主人公である鷹野隆介が17歳の夏にミハイロフスキイに噛まれたように、である。
ちなみに小林秀雄がランボーにいきなり殴られたとかつて書いたように、五木寛之はガウディの夏」においてもこの稀代の建築家との出会いについて‘噛まれた'といういいまわしを使っている。
以後も「蒼ざめた馬を見よ」とこの作者の「青年は荒野をめざす」などの初期作品群は、手にすると目を離せなくなり、私の心中に棲みついたのである。そこにちりばめられている思想や情景、そして作中に出た曲名や書名でさえ、何かの折、せり上がってきて私を驚かせた。
妙な読み方だったかもしれないが、「蒼ざめた馬を見よ」に私が震撼した理由は、五木寛之が時代に仕掛けた、あまりにも鮮やかな「おとしまえ」のつけ方であったと思う。
いってみれば、試合を組んでもらえないボクサーが、それでも地味で苦しい体力づくりとトレーニングに黙々と明け暮れ、いきなりタイトル戦でKO勝ちデビューを果たしたような‘かた'のつけ方であったことである。
「<おれはいったい何者だろう?誰のために、いや、何のためにこんなことをしているのか?自分のため、ただそれでけなのだろうか?>彼はふと、自分が大きな掌の上であやつられて踊っている人形のような気がした。それはいやな感覚だった」(P42)
これは主人公鷹野隆介が「だめだまずいことになる」という一種の転落感を覚えながらも、ソ連では出版ができない老作家の幻の原稿を入手するという仕事を引き受けてしまう前半の独白である。これは「青春の門」をくぐった末の私の、当時の実感でもあった。
「バルカンの星の下に」の宗谷氏、「赤い広場の女」の私、「天使の墓場」の黒木、彼らも鷹野隆介と同じく「生活のことを考える」年齢にありながら半ば余儀なく、半ば意志的に状況の中に身を入れるのである。そして「夜の斧」の森矢助教授はその戦時体験故に、安寧な生活は暗転する。
五木寛之もまた同年同月同日生まれの石原慎太郎や、高橋和巳、江藤淳、寺山修司、そして大江健三郎等の華々しい活躍を見ながら、食いつなぐことと、溢れるような思念の行き場との間をメディア業界の底辺で渡っていたのである。
後に五木寛之は、このデビューの頃のことを「何かを言わずにはいられない気持ちが喉元までこみあげてきて苦しいほどだった。ソ連について、社会主義について、ロシア人について、日本人について、そして自分とこの時代について、人間について、さまざまな物言いたい気持ちが体じゅうにつまって、ぶつぶつ泡立っていたのだ」と語っている。
従ってこの作品はまずもって、自己の才能を信じようとする若い作家の自己存在証明の迫力に満ちていたのである。
その頃、私は大学院で‘入院'生活(私達は互いをそう呼んでいた)を送っていた。私は作品を読みながら、一方でなんで彼らはこんなに簡単に外国の女を愛せるのだと羨みながらも、他方読み終わった後、先き行きはどうあれ、身を入れて勉強しようと何故か思ったのである。
(以下本著にて続く)
2007.2.1記 旭川大学・旭川大学女子短期大学部 学長 山内亮史
この学長コラムの回転が鈍すぎるというのである。申し訳ない。
今後はもっと回転させましょう。
昨年11月、突然文芸春秋社の文庫本の部長という人から電話がきた。
作家の五木寛之氏が作家デビュー40周年、直木賞受賞作『蒼ざめた馬を見よ』の新装版の解説を私に頼みたいとのことであった。
なんでも私が14年ほど前に、同人誌をはじめた後輩に頼まれて書いた、「フランヴィタールの暮方-戦後文学としての五木寛之」という小論を、五木氏本人が感心してくれたからであった。昨年10月に札幌に講演に来られた五木氏がこれを読む
機会があり、私に解説を、と御指名下さったらしい。
間もなく五木さんの事務所から45冊の最新刊の著作本が送られてきて、感激するやら驚くやらで数日興奮の中にいた。五木さんは私にとって青春のくぐり方を教えてくれた、とびっきりの大先輩とでもいうお方なのである。
五木寛之と中島みゆき、このお二人がいなければ、私の人生は随分味気のないものになったことだろう。
嬉しさのあまり一気に書いたその解説を、出だしだけ紹介したい。後はどうぞお買い求め下さい。
「蒼ざめた馬を見よ<新装版>」五木寛之 著 (p.308~310より抜粋)
解説 山内 亮史
もう40年前になるのか。
私は1967年、青春の降り口で「蒼ざめた馬を見よ」という小説とその作者である五木寛之という表現者に‘噛まれた'のであった。
そう、この小説の主人公である鷹野隆介が17歳の夏にミハイロフスキイに噛まれたように、である。
ちなみに小林秀雄がランボーにいきなり殴られたとかつて書いたように、五木寛之はガウディの夏」においてもこの稀代の建築家との出会いについて‘噛まれた'といういいまわしを使っている。
以後も「蒼ざめた馬を見よ」とこの作者の「青年は荒野をめざす」などの初期作品群は、手にすると目を離せなくなり、私の心中に棲みついたのである。そこにちりばめられている思想や情景、そして作中に出た曲名や書名でさえ、何かの折、せり上がってきて私を驚かせた。
妙な読み方だったかもしれないが、「蒼ざめた馬を見よ」に私が震撼した理由は、五木寛之が時代に仕掛けた、あまりにも鮮やかな「おとしまえ」のつけ方であったと思う。
いってみれば、試合を組んでもらえないボクサーが、それでも地味で苦しい体力づくりとトレーニングに黙々と明け暮れ、いきなりタイトル戦でKO勝ちデビューを果たしたような‘かた'のつけ方であったことである。
「<おれはいったい何者だろう?誰のために、いや、何のためにこんなことをしているのか?自分のため、ただそれでけなのだろうか?>彼はふと、自分が大きな掌の上であやつられて踊っている人形のような気がした。それはいやな感覚だった」(P42)
これは主人公鷹野隆介が「だめだまずいことになる」という一種の転落感を覚えながらも、ソ連では出版ができない老作家の幻の原稿を入手するという仕事を引き受けてしまう前半の独白である。これは「青春の門」をくぐった末の私の、当時の実感でもあった。
「バルカンの星の下に」の宗谷氏、「赤い広場の女」の私、「天使の墓場」の黒木、彼らも鷹野隆介と同じく「生活のことを考える」年齢にありながら半ば余儀なく、半ば意志的に状況の中に身を入れるのである。そして「夜の斧」の森矢助教授はその戦時体験故に、安寧な生活は暗転する。
五木寛之もまた同年同月同日生まれの石原慎太郎や、高橋和巳、江藤淳、寺山修司、そして大江健三郎等の華々しい活躍を見ながら、食いつなぐことと、溢れるような思念の行き場との間をメディア業界の底辺で渡っていたのである。
後に五木寛之は、このデビューの頃のことを「何かを言わずにはいられない気持ちが喉元までこみあげてきて苦しいほどだった。ソ連について、社会主義について、ロシア人について、日本人について、そして自分とこの時代について、人間について、さまざまな物言いたい気持ちが体じゅうにつまって、ぶつぶつ泡立っていたのだ」と語っている。
従ってこの作品はまずもって、自己の才能を信じようとする若い作家の自己存在証明の迫力に満ちていたのである。
その頃、私は大学院で‘入院'生活(私達は互いをそう呼んでいた)を送っていた。私は作品を読みながら、一方でなんで彼らはこんなに簡単に外国の女を愛せるのだと羨みながらも、他方読み終わった後、先き行きはどうあれ、身を入れて勉強しようと何故か思ったのである。
(以下本著にて続く)
2007.2.1記 旭川大学・旭川大学女子短期大学部 学長 山内亮史
2008年01月08日 連載コラム [clm]


