コラム No.007 今、あえて旭川大学でロマンを語ろう
![]() | 1月末のある夜、卒業するT君のラストコンサートに招かれた。そこは街はずれの小さなライブハウスでとても濃密な友人たちの息遣いの中にあった。T君は前半リードギターを震わせ汗の中でシャウトしていたが、やがて「卒業」というバラードを眼を閉じゆっくり歌い出した。 私はこの場で共に在ることが幸せな気分がして、遠く我が学生時代の日々に思いをはせたのであった。 大学の卒業は多くの場合、切実に別れ路である。「夢の続き」と「食べてゆく現実」の択一であれば明らかに後者が重い。しかし私は、「食べてゆく現実」は必ずしも夢の続きを断念することではないと思う。それは大学生活を多少とも目的的に送ろうとした者なら夢それ自体の質と可能性、自分にとっての切実性、そして現実自体に未来への変容が含まれており、冷酷な壁のみあるわけではない...という問いかけが自分の内に育っているからだ。もっとはっきりいうと、旭川大学のすべての学習資源はここで学ぼうとするすべての者に夢の続きと現実生活を繋ぐ糧を身につけてもらい、これを支援するためにあるといってよい。 |
それはコンピュータであったり、図書館であったり、様々なスタッフであったりするが、何よりもそれが教育計画の隅々まで、少人数の単位で、多様な一人ひとりの学びに応じているのは、日本の文系私大の中で飛び抜けた特色といってよい。学生は必ずや一つの夢への手がかりを身につけてゆくであろう。
ラーメン、スノボ、動物園、今、旭川は熱い。現代日本は一見あらゆる青春の試みを拒む夢の不毛地帯のように見える。しかし旭川大学はあえて今、この旭川大学のキャンパスで大いにロマンを語り合いたいと思う。なぜなら、いつの時代も学生時代は卑俗と高邁、雑駁と豊饒の間を時に惨めに、時に清々しく行ったり来たりする存在だからだ。
T君の卒業バラードを聴きながら、私は、今、新しい出会いの予感を感じていた。
2005/4
2008年01月08日 連載コラム [clm]


