コラム No.017 ようこそ旭川大学へ
旭川大学は「竹の節目」のステージだ
旭川大学は昨年、40周年、女子短期大学部は45周年、大学院は10周年を迎えた。
その記念行事の一つとして「五木寛之講演会」を催した。五木さんは私が解説を書かせていただいた彼の直木賞受賞作「蒼ざめた馬を見よ」の新装版文春文庫を1100冊買い切って聴衆の皆さんにプレゼントするという美しい心配りをして下さり、この未熟な学長は人生の喜びに浸ったのである。それは学生時代出会った小説から始まった。
君達は五木寛之の「青春の門」という小説を読んだことがあるだろうか?あるいはその名を聞いたことがあるだろうか?
映画にもTVドラマにもなったことのあるこの本は、30年以上にも亘るロングセラーであった。私はこれを時に旅の途中で素っ飛ばし気味に読んだり、時に4畳半にも満たぬアパートで、全世界が敵に見えたりした時など舐めるように読んだりしたものだった。今も折にふれて手に取ることがある。とにかく面白いからである。
この大河小説は、「筑豊篇」「自立篇」「放浪篇」「堕落篇」「望郷篇」「再起篇」から成り、未だ完結していない。
その「自立篇」で大学生活を始めた主人公、伊吹信介は言う。「おれは人間たちとつき合いにきたのだ。おれは自分と同じ世代の若い連中と出会い、世の中のしくみを眺め、そしてそのなかで自分をどう生きていけばいいのかを求めるためにやってきたのだ、それだけだ」と。これほどストレートな個々の人生と大学との出逢いの意義を語った言葉を知らない。
友を得るという形で関係の中に身を入れ、自分と自分を取り巻く環境の総体を学び、そこから何かを把んで生きてゆく覚悟を決めるということであろう。
そして歩き出してふと彼はいう。「人間はすこしずつ変わるのではなくて、どこか竹の節のようにジャンプするところがあるんじゃないでしょうか。いまぼくはその竹の節にかかっているところかもしれません」と。
そうです。いかに現在「青春」ということばが死語になりつつある、といわれようと青春という季節はジャンプする季節であり、大学はその竹の節目のステージなのだ。
旭川大学は、性、国籍、年令、階層を超えて歩き出そうとするすべての者に竹の節目のステージを用意している。新しい出会いを待っている。
旭川大学は昨年、40周年、女子短期大学部は45周年、大学院は10周年を迎えた。
その記念行事の一つとして「五木寛之講演会」を催した。五木さんは私が解説を書かせていただいた彼の直木賞受賞作「蒼ざめた馬を見よ」の新装版文春文庫を1100冊買い切って聴衆の皆さんにプレゼントするという美しい心配りをして下さり、この未熟な学長は人生の喜びに浸ったのである。それは学生時代出会った小説から始まった。
君達は五木寛之の「青春の門」という小説を読んだことがあるだろうか?あるいはその名を聞いたことがあるだろうか?
映画にもTVドラマにもなったことのあるこの本は、30年以上にも亘るロングセラーであった。私はこれを時に旅の途中で素っ飛ばし気味に読んだり、時に4畳半にも満たぬアパートで、全世界が敵に見えたりした時など舐めるように読んだりしたものだった。今も折にふれて手に取ることがある。とにかく面白いからである。
この大河小説は、「筑豊篇」「自立篇」「放浪篇」「堕落篇」「望郷篇」「再起篇」から成り、未だ完結していない。
その「自立篇」で大学生活を始めた主人公、伊吹信介は言う。「おれは人間たちとつき合いにきたのだ。おれは自分と同じ世代の若い連中と出会い、世の中のしくみを眺め、そしてそのなかで自分をどう生きていけばいいのかを求めるためにやってきたのだ、それだけだ」と。これほどストレートな個々の人生と大学との出逢いの意義を語った言葉を知らない。
友を得るという形で関係の中に身を入れ、自分と自分を取り巻く環境の総体を学び、そこから何かを把んで生きてゆく覚悟を決めるということであろう。
そして歩き出してふと彼はいう。「人間はすこしずつ変わるのではなくて、どこか竹の節のようにジャンプするところがあるんじゃないでしょうか。いまぼくはその竹の節にかかっているところかもしれません」と。
そうです。いかに現在「青春」ということばが死語になりつつある、といわれようと青春という季節はジャンプする季節であり、大学はその竹の節目のステージなのだ。
旭川大学は、性、国籍、年令、階層を超えて歩き出そうとするすべての者に竹の節目のステージを用意している。新しい出会いを待っている。
2009年04月23日 連載コラム [clm]

