コラム No.015 2008年度卒業生に愛をこめて~part.Ⅰ
「存在の耐えられない軽さ」を超えて
それは妙な小説で、また妙な映画でもあった。
「存在の耐えられない軽さ」というミラン・フンデラの書いた小説は、1968年、所在なく昨日の不安から逃れようと本と映画と盛り場を往き来する私をそのあまりにも似つかわしいタイトルと内容で打ちのめした。
ソ連軍を中心とする軍隊によるチェコスロバキアの「プラハの春」の弾圧を背景に、映画ではダニエル・ディ・ルイス紛する脳科医トマーシュがひんやりとした表情で情事を繰り返す話で、決して時代の主流になれない存在の軽さに耐えている日常が書かれている。私はそんな情事はなかったがあの頃の心象風景を思うとき、無名で金がなく、しかも不自由と考える自己の日常を今もその頃の音楽を聴いたときなど身震いしながら考えるときがある。
君達は今、100年に一度しかないとも言われる経済不況の中で卒業してゆく。その中で主流になろうと泳ごうとすれば、否応なくプロレタリア化した自分の存在の軽さを意識せざるをえないだろう。しかし時代はもっと文明史的大転換の中にある。豊かさ=進歩・発展の等式が崩れつつある。
名もなく、小さな花々とユーモアの心が起りつつある。そう、ドジでのろまであっても他者の傷みを共感し連帯の心根を植えてゆこうとすれば大丈夫だと思う。
2009年04月23日 連載コラム [clm]

